構造なき聖域改革

タイトルは小泉某より拝借。
自殺関連のことを書いた後に自殺者が出てしまった。
ニュースで取り上げられる人だけでないことは分かっているが、無責任に冥福を祈ってしまう。

戦略なき構造改革

自殺者を減らす、ということと自殺者をどのように減らしていくかは別問題だ。
ものづくりを推進することと、どのようなものづくりを進めるかは別問題だ。
薬を売ることと、どのように薬を売るかは別問題だ。
…。
続けようと思えばいつまでも続くのでこの辺で。


何かをするということと、どのように何かを進めることは別物だ。
どれだけ「戦略的」で「持続可能」か、この二つがない限り、企業にしろ国にしろ長期的な成長は見込めないだろう。
日本ではあるものを標榜する単語だけが独り歩きをし、その中身が伴わないことが多い。
「ものづくり」という言葉はその代表作のようなものだろう。
ものづくりには中身がない。
ものづくりという標語だけがあって、何を作るのかといった戦略が欠落している。
法制化されているのに、やるべき内容を企業や個人に丸投げしてしまっている。
ものづくりは、ものを作るだけでは成り立たない。
そのものを、どのように応用、実用化、流通、発展させることまでを含めてものづくりだろう。
作ったら作りっぱなしのものだってあるだろう。
このまま何も考えないでものづくりを推進しても、この国が発展することはないだろう。


構造なき聖域改革

この国が本当にこの先を生き残る気があるのならば、傀儡のようなシステムを変えていく必要があるだろう。
少子化対策と称して、子供を増やすことばかり考えているが、子供が減ったとしてもやっていけるシステムを考える時期に来ているはずだ。
人が減るのならそれなりに優秀な人材を育成する環境を整えて、高価値で世界から必要とされるものを作れるようになればいい。
減ったから増やすといった対症療法だけを考えるのは無意味だ。
それならば持続可能な戦略をいくつか考えて実践した方が合理的だ。
今まであったシステムをぶち壊そうとした人がいたが、その人は将来への布石を打ったとは言い難い。
今のままでは、ちょくちょく変わる義務教育の方針のおかげで、この国の人の基礎能力、足腰が弱いまま社会に出ることになる。
かく言うこの国でさえ、自立しているとは言い難い。
いつまでもアメリカについていくわけにもいかないだろう。
日本が世界から必要とされるかどうか、それが今後のこの国の行方を左右するだろう。
経済大国、技術大国などという前に、自分の足元を見てはどうだろうか。
いつまでも成長を続けると思うよりも、大きな成長はなくても堅実に調整役として独立していた方が存在価値はあるだろう。

変わるしかない国、日本

今の日本は転換期に見える。
戦後続いてきたシステムが失われた十年を経てなくなり、若者は自分がどのように生きるべきかといったモデルケースが上の世代に見出せなくなった状態だろう。
そこで、婚活や、アラフォー、草食系といった新たなモデルを作りだそうとしているが、それが長く続くとは思えない。
概念として残るかもしれないが、結局のところ個人が自立していく必要に迫られるだろう。
それは上の世代がやってきたことをマネできなくなった時代だからこそ、自分というパーソナリティーを持つことを迫られているのだろう。
個人の自由というものに重きが置かれすぎている現状がそれだと思う。
だが、今ある個人の自由という概念は、ある種のわがままに近い。
そのわがままから、自律した自由を持つ必要がある。
それはある種の孤独だ。
その孤独を拒んで、他人に合わせているうちはこの国に未来はないだろう。