僕が死なない理由

五月病だろうか…

この時期なのに、なぜか精神的に参っている。
これが五月病というやつなのだろうか。
夜更かしもしていないのに眠気が来たり、何より漠然と不安なのだ。
一抹の不安に襲われている。
志向がマイナス気味、これはどうしようもないことだ。
今年はたまたま五月だったのだろうと自分に言い聞かせつつ、
こんな感じで死んで行く人もいるのだろうなと思った。

閉鎖社会的他殺としての自殺

警視庁の統計によると、日本では年間3万人を超える人が自殺している。
これは、アメリカで毎年インフルエンザで死亡人数と大体同じくらいだ。
なぜインフルエンザと比べるかというと、自殺が外圧によって起きるのではないかと思ったからだ。
人はいずれ死に直面する。
死は、存在そのものの方からやってくるのだ。
事故はその典型で、寿命なども同じようなものだろう。
自殺の原因も、多くは外部からのストレスによるものが大きいだろう。
環境の変化、上司からのパワハラ、借金、いじめなど。
たとえ、自ら進んで違った環境に飛び込んだとしても、環境の変化による外圧のストレスがあるのだから、それも自殺の原因になりうるだろう。


そして、外圧により自殺してしまうのであれば、自殺もまた他殺ではないだろうか。
自殺に陥る原因として、一種の視野狭窄にはまってしまうことがあげられる。
その視野狭窄の原因となるものが、閉鎖的社会ではないだろうか。
企業、学校など、社会は閉じた集団の集まりだ。
自分の属する社会に馴染めない、無理なことを続けさせられる、身の丈に合わないことをやる、そして居場所がなくなる。
その過程で鬱になったりするのだろう。
このとき、他人にそのことを打ち明けられるかどうか、精神科へ行けるかどうかなど、まわりの人が対処できることもあるだろう。
もっともそのようなことができない、そもそも制度として自殺を防ぐためにはまだ十分とは言えないことを、死者数が示しているのだが。
やはり、社会的に殺されたと言うべきだろう。
過労死はどうなるのかといった話も出てくるだろうが、その辺は明るくないので割愛する。

僕が死なない理由

特に深い意味もなく、ただ一抹の不安を抱えながら。
漠然とした不安に駆られつつも、日々うまくやり過ごしている。
鬱のようだがそうでもない。
ただ認めていないだけかもしれない。
それにしても、何もない。
周期的にうっとおしい抑鬱感が出るだけ。
自分の場合、毎日がつまらないということもないし、好奇心が抑えようもなく暴走している。
そしてあるとき、とりあえず死なないことにした。
説明にはならないのだが、自分の中で勝手に決着をつけてしまった格好だ。
勝手に絶望して死のうとしていたわけでもないけれど、死んでみたいなと思っているくらいでは死なない、むしろ死ねない、といったところだろうか。
正直、よくわからない。


これは推測なのだが、多分、自分で死んでみようと思っているうちは死なない。
相当なストレスを抱えていないと、現実に自殺へは行かないのではないだろうか。
それでも死にたいときはどうするだろうか。
他人を殺して死刑にでもなるだろうか?
それも他者から殺されることを望むのであって、自殺とは言えない。
それだけ、自殺というものは簡単なことではないと言えそうだ。
死ぬ権利なんてそもそもないのかもしれない。


 この内容はおおむね推測に基づいて書かれておりますので、鵜呑みにしないようお願いします。