数字で何でも見るな!

 数字って便利です。
重さ、高さ、容量、速さ、大きさ…。何にでも使えます。
もちろん学校の成績だって、会社の業績だって、番組の視聴率だって、数字です。
データなんて0と1で表現できます。


 でもね、何でもかんでも数字で表そうとしていいのだろうか?
視聴率だってね、当てにならないと思いますよ。
今やっている、いわゆる「月9・太陽と海の教室」も視聴率が取りざたされていますが、いいドラマじゃないか!って言いたい。
NHKの「ちりとてちん」だって週に3回くらい放送しているのに、視聴率がどうのこうの…と言われた挙句、DVDが売れる。
テレビ見る人がこれから減っていく、もう減り始めているときに視聴率ばかり見ていて放送局はやっていけるのだろうか?
正直、今のやり方のテレビ業界はもう限界だよ(言っちゃっていいかな?)。
著作権問題に、広告収入…でも、ここでは書きませんよ、数字の話ですから。


 もうちょっと言うとね、学校の成績も似たようなものじゃないかな?
いくら勉強が出来て、成績が良くても、それだけで食っていけないじゃない(って言うと負け惜しみか?)。
もう少し言うと、成績に個人の「感性」が出てくることはないじゃないですか。
もっと言うと、一つの教科がいくら出来ても、ほかのことも勉強しろって言われちゃうじゃない。
数字で表せば、わかりやすい、説得力もある。
でも、それですべて決まると、世の中、窮屈だと思うよ。


 例えば、この食べ物は100点中、75点のおいしさです、なんてこと言われたくないでしょ!
これ100点だから間違いなく美味しいなんて言いたくないでしょ!
テレビドラマだって、視聴率で人気があるとかないとかってことじゃないでしょ!
学校の成績が悪いからって、そいつが最悪なんてことありえないでしょ!
営業成績がそこそこのやつでも、そいつがいないと会社がまわらないってこともある。


 数字ってのはわかりやすくていいよ、でも、それがすべてなんてありえない。
「愛」だって数値化できないじゃない。
数値化した愛なんて見たくもない。
あの人のどこどこが何%好きだから、あの人が好きなんてことないじゃない。
数字を参考に、いろんなものを選ぶけれど、数字に表れないものって結構大きいじゃない?


 ある広告が人の心に与える影響だとか、素晴らしい絵画、デザインなんてのも、主観ですよね。
好きな食べ物だって、好きなものだって自分の主観です。
そこに、客観的な数字が顔を出したりする、これがわかりやすくて便利なんだ。
でも、数字にこだわり過ぎると、結局自分ではない何かになってしまうんじゃないかな。
ランキングでさえ、合計みたいなものに過ぎない。

 でも、世の中に数字があふれているから使わない訳にはいかないじゃない。
だからといって、自分の感覚ってのは無視することは出来ない。
なら、その間でいいじゃないか。
結論としては曖昧なんだけどね、一番おいしいじゃん!
数字を気にしつつも、自分の感覚に合ったものを選ぶ。
選ぶものがたくさんあるなら、数字を参考にしちゃえばいいんだからね。


…なんて、都合良すぎかな?