あさっての方向は受け入れられない

 常々思うことだが、議論というものはその中で発展し、変化するものであり、決して議題の皿の上でいつまでも飾っておくものではない。
議論の中で、議題というものは淘汰されるべきものであり、建設的な話や発展的な内容になるべきものだ。
ただ、世の中うまくはいかない。
議題があれば議題のとおりに、内容がブレないことを求められる。
エスかノーかといった無意味な内容に終始し、それにより内容が陳腐化することも多い。


私は、議論をするなかで、内容を発展させるべきであると思うし、そのためには議題が犠牲になったとしても構わないと思っている。
しかし、議題がブレたことによって本筋を求める人たちは真っ先にそれを修正しようとする。
話がズレることによって、それ自体を無意味と感じるやからがいる。
多かれ少なかれ、話はズレるべきであり、それにより幅広い意見を取り入れることもできる。
発展ではなく、本質を知るための議論であったとしても、数多くの意見を取り入れ、それを加工することによって今まで見えなかったものが見えるようになることもある。
そのようなプラスの面が大きいことをわからない人たちが私にとっては苦痛でならない。


そして、私の意見が苦痛でならない人がいることも事実である。