未来に今はない

 GMが破綻しそうだ。
自動車メーカーとして長年頂点に君臨し続けた会社の末路だ。
この会社が潰れようと自分には全く関係ない。
だから、潰れるべくして潰れたとも言わないし、なくなればいいとも思わない。
ただ、自動車メーカーなら、車の未来像を常に示すべきだった。
石油からのエネルギーの脱却、新たな車社会、GMレベルの大きな会社ならできたはずだ。
GMの車は、今でも売れている。
売れているのに潰れようとしている。
GMに未来を象徴するようなものはあっただろうか。
ラダーフレームに未来はなかった。
利率にこだわるだけでは誰もついてこない、それを象徴しているようだ。
大きい会社なのに倒産してしまうことは、結果として社会に望まれていないのではないだろうか。
必要ない、過去の遺産、誰も望まないもの。
サイズに見合ったことができなければ、生き延びることはできない。


日本メーカーは、辛うじてハイブリッドの先も提示することができている。
電気、水素、次世代のエネルギー基盤だ。
だが、それだけでいいのだろうか。
車は、いつまで車でいるのだろうか。
常に迫りくる未来に対し、何を提示できるか。
誰にも望まれないものと、常識を覆すものは違う。
どちらも、受け入れられるかどうかわからない。
しかし、望まれなくても売れることはある。
だが、常識の裏には、未来があるかもしれない。
その未来を作らない限り、未来には歴史の教科書の隅に載ることになるだろう。