死ぬ権利はあるだろうか

 自分に死にたいという願望はない。
死んでみたいという虚無感はときどきある。
だが、他人をあの世に送ってまで死にたいとは思わない。

死ぬ権利はあるか?

題名を何にしようかと悩んだ結果これになった。
何日か前に、「とくダネ!」という番組を見た。
そこで、土浦での連続殺人犯が取り上げられていたのだが、
不謹慎ながら、こいつはちょっと面白い、と思ってしまった。
というのも、取材した記者に対し、犯人から以下のような発言があったからだ。

「生きているのがつまらなかった」
「自殺する勇気がないから、死刑になりたかった」
「この世の中から消えてしまいたい」
「FF(ファイナルファンタジー)の世界に行きたい」

記憶するに、以上のような内容だったと思う。
以上の発言の中から、FFの発言は置いておくとして、
「自殺する勇気がないから、死刑になりたかった」という発言だ。
というのも、1年ほど前にこんな内容のものを書いていたからだった。
書き方がかなり雑なのだが、やることなすことを外部に求めるといった内容だ。
そして、その内容がどうやらあたってしまったみたいなので、(この事件のことを最近まで全く知らなかった)どうしたものかと勝手に悩んでいた。
そして、「こいつ、死ぬ権利を行使したな」と思った。
その後の連続殺人にも似た感覚があるのではないだろうか、明確には言えないが。

法治国家の欠点

日本の法律には、生存権はあっても、自殺権なんてものはない。
法律で死んでもいいですよ、なんて言う国はない。
と同時に、殺してもいい権利もない(あるのは戦場くらいか)。


金川が何を思ったか知らないが、死のうと思った。
言葉でも何か理由を述べているようだが、それが事実とは限らない。
そこまで感情やら心情やらが単純とは思えない。
前置きはこれくらいにして、その後死ぬ手段を考えたはずだ。
前提として、「自殺したい、しかし痛い思いはしたくない」。
ならどうするか、だ。
個人的には練炭自殺辺りが一番迷惑をかけずに楽に済むだろうと思うが、
やったことないのでよくわからない。
結果として、2人を殺害し、流れとしては死刑に行くだろう。
彼の目標はほぼ達成されただろう。


と、ここまで書いて思ったのだが、
金川には他人とのつながりを求めるといった発言がなかったように思える。
そういえば、加藤のときには他人へのつながりを求めるような行動が見られた。
強いて言えば、警察を呼び込もうとしていたくらいだろうか。
この違いはなんだろうか。
なんだろう、わからないのでこのままにしておく。


とりあえず、彼の目標はほぼ達成された。
だが、法を執行する方としては困りものではなかろうか。
死にたいやつの思うままに死刑にしてしまうなんて。
殺人という、自分以外の者を殺すことによって、自らの死を実現する。
法治国家、それも死刑のある国ではもっとも合理的な死に方かもしれない。
死の舞台を提供する。
人を2人殺せば、その舞台で死ぬことができる。

結論もなく

内容がとっ散らかってしまったが、ここらで終わらせることにする。
自分の中で、この事件への解釈がうまくできていないということもある。
また、このような自殺のアウトソーシングへどことない共感を覚えるからだ。
わからなくもない。
いいとか悪いとかではなく、存在するもの。
不条理な何かだろうか。


つい最近、ハガレンを見ていたら、エドワード君が人間の成分を丁寧に説明してくれた。
そういえば、やつも似たようなこと言っていたっけ、そんなものだと。
そこまで還元して、倫理もクソもないような状態で物事を考えると、
なんでもできるものだろうか。
いいや、できやしない。
本当にそうならば、彼の物語はもうすぐ終わるのだから。
ある有機物として帰すのだから。