かみさまのあーきたいぷ

 自分、とりあえず仏教徒ということになっています。
それでも日本人なので、寺にも神社にも行きます。


 その日本人、もとい一個人の言うことなので流してもらってもいいです。
個人的に、ギリシア神話は受け入れやすいです。
八百万の神が住んでる国なので、神様はどれだけいても困らない。
そこで、一神教の神様を受け入れられるのか真剣に考えてみたんです。
ですが、絶対的な神様と契約しているなんて、やっぱり受け入れられないんです。
受け入れられないというか、元からたくさんいるという発想なのですが…。


 ま、そんなことはどうでもいいの。
人間が自分一人で生きていけないことは誰にだってわかると思いますが、
自分という視点から見てそう思います。
もし、その枠から何らかの理由で外れてしまったらどうなるのだろうか?


 自分なのに自分じゃない、地球に溶けちゃう感じです。
なんだかよくわからないけれど、自分ってちっぽけだなとか
何だか、とっても大きいものに覆われているなって感覚がそうだと思います。
海のバカやろーって言っても海は受け止めるどころか、なかったことにしちゃいます。
それくらい大きいものがたくさんある中で、人間がちっちゃいことをたくさんこなす。


 何だかいろいろやる割には、進歩しているけれど地球にはちっちゃいことかもしれない。
でっかいやつに勝とうとして一生懸命頑張ったりしている。
でも、地球相手に戦っても仕方ないし、地球を守るって発想も間違えじゃないでしょうか。
地球に住んでいるのに「守る」って上から目線。
「地球さん、私たちがんばりますから見守っててくださいね」くらいがちょうどいいと思うんだけどなあ。


 地球に住む以上は、地球にあるものを使うしかない。
そのまま、あるものを使う、で、また使う、さらに使う。
延々と使い続けられるものがこれから増えると思います。
昔の人はみんな知っていた。
現代に大量消費社会が訪れて、そしてリサイクルが出てきた。
ある意味、今の世の中も原因はなんとあれ原油へのアンチテーゼなのかも。


 って感じのことを同時に考えていました。
これが溶けて混ざってくれることを祈って。
でもどうなんでしょう?
自分でもよくわからない…。