自らのアーキタイプ

 本日、とても変な夢を見ました。
いや、もう夢って変だなあと改めて思う夢でした。
このことは、ちょっと脚色して後日書こうと思います。


 さてさて、先日本棚を整理していると、昔よく読んだ漫画やら本やら出てきました。
それを改めてパラパラと読んでみると…、あ!っと思いました。
自分の発想、考えなんかはこの辺の影響を受けているなと。


 理屈の上ではわかっていたけれど、こうも堂々と見せつけられると、懐かしいと言いますか、過去の自分がそこにいた。
あのころは中二病もとい、思春期の発想やらなんやら、今の株式相場でもないのに変動が激しい感情に付き合っていたなあと。
つい最近、強烈に感情的になっていた自分が、こんなこと書くのは恥ずかしいんですけどね。


 人間、根本的なものは変わらないんだと思いました。
やっぱり、泣き虫はいつまでも泣き虫で、お気楽な人はいつまでもお気楽です。
そこに、影響を受けたものが残ってその人になるんだろうな。
死ぬまで変わり続ける自分に、こうやって付き合っていくんだろうな。


 自分と向き合うとき、過去のものを漁ってみるといいかもしれません。
そこに自分が居たりもします。
たまに夢に出てくるかもしれません。
自分の積んできたものは案外と、探しやすかったりもします。

さて、自分の根本を探すにはどうしたらいいのだろうか?